右の耳からマリアナ海溝

わたしは高校生の頃、放送部だった。ちっとも練習しなかったけれど。そのちっともしない練習の中に埋もれた、ちっとも開かれない本の中に、右の耳から耳輪が三つ、という早口言葉の書いてあった。わたしはそこそこ滑舌がいいので、この早口言葉を練習することはちっともなかった。耳からってどういうことやねんとつっかかってみて終わった。そんなことがちっとばかり楽しかった。
眠れない夜は鰹節のことばかり考えてしまう。あれはなんとも、最高の何かだと思う。何かというのは、なんだかあれはただの食べ物でない気がするからそう言ってみただけだ。鰹節はなんといってもいい出汁が出る。とても良い香りの旨味のぎゅっと詰まった出汁。優しいようで厳しいようでなんだかとてもかっこいいのだ、出汁のときは。それなのにあいつ、豆腐だったりほうれん草なんかの上ではべっちゃり潰れている。ここはどこ、わたしはだれ、ってな風に。出汁族はきっと言う、もっとしゃっきりせんか、と。たこ焼きなんかの上だともっとすごい。踊り出しちゃうのだ。何のビートに乗って、どんなリズムにうかされてるのか知らないが、うねうねふわふわサタデーナイトのフィーバー感を出している。出汁族はきっと言う、訳がわからんぞ、と。
それでもわたしは知っている。べっちゃり潰れた鰹節も、うねうね躍る鰹節も、美味しいんだってことを。もう一つ知っている。口うるさい出汁族鰹節も、鍋の中で踊るってことを。

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はまちが食べたいです。