咳をしても

咳をしてもひとり、とかいう自由律俳句がある。正しい表記は知りません。詳しくはないので。きっとこの俳句、「寒空の下咳の音だけがして、心配してくれる人もいないし寂しいなぁ、悲しいなぁ、虚しいなぁ」なんて感じのものだと思うんですけど、もしですよ、もし、もしも、作者がちょっと特異な体質で、「咳をするとその咳から生物を作れるんだよね(てへへ)」なんて場合にはですよ、「風邪的な何かよりさらに恐ろしい事態が俺の体にッ!?」っていう想いが込められた俳句なのかもしれませんよね。ないとは言い切れない。そもそもこの作者、咳をしたら2人になる可能性をどこかしらに感じている節があると思います。咳をしてもひとり。

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ふゆ

冬と言ったらあれですよね、あれ、白子。もうね、鱈の白子がだいすきでね、プリン体最高です。揺れる白子に心踊ります。ぐらぐらと沸き立つ湯にざぶっとくぐらしてね、醤油をたらっとしたら、それはもう。するっと頬張って、ぷつりと薄くて可愛い皮を破って、もうあつあつのとろっとろですよ。たまんないね。そんなシンプルな食べ方でも十分おいしいんですけれどもね、だいすきなんですけれどもね、やっぱり天ぷらがね、本当においしい。サッと崩れる衣に溢れ出す白子。は〜我慢ならんね。f:id:hppkmy:20161206163735j:image

ももしきや

俺の知ってるSUNRISE!

俺を知ってるSUNRISE!

どっちがかっこいいと思いますか。

わたしはうーん…前者かな…迷うな…

でも後者もね、sunriseも顔見知りだぜって感じがね、かっこいいとは思う…思うけど、前者の俺ありきってところがね、sunriseに認知される側でなく、あくまでする側という、威は借りていかない、むしろ俺が威だぜスタイル、かっこよさという点で一歩リードだと思います。

あしおと

タイトルをひらがなにすると一気にエモみが出るよね。エモの使い方合ってるかな、合ってないかもな。

じとじとしていると寝ていてもすぐに目がさめるのでいやだ。しかも1度目がさめると、じとじとにじっとり取り憑かれて眠れやしない。いやだ。さらには全身の皮膚が爽やかさを失い、ぺたぺたと音を立て始める。なんていやなんだ。そうしてあまりの空気の重さに息をするのも億劫になって、潜るみたいに息を止めてみたりする。あれれ、意外と息をしなくても大丈夫なんじゃないかしら、このままいつの間にやら人生がおしまいを迎えてたりしないわよね、とおそろしく不安になって、そのうちにどうしようもなく苦しくなる。思いっきり息を吸う。吸い込んだ空気が鼻の中で渋滞している感じがする。もう本当にいやだ。

眠れないときは目を閉じているだけで寝ていることになるのよ、なんて言うが、それに従って目を閉じていると、後ろの目が開く。(ほんとは目は前にしかないけれど)後ろの目をじーっと開けていると、得体の知れない、何者かがそこにいるのが見える。たいてい天井の隅にいて、じっとわたしを見下ろしている。なぜだか起きているのがばれるとまずいと思って息をひそめる。そうするといつの間にか眠れる。

もちろんこれはわたしが心底おばけがこわいと思っている故の誇大な妄想で、霊感なんかではない。そんなものはない。絶対にない。おばけも存在しないでほしい。こわいから。手や足を引っ張られないために真夏でもすっぽり布団にくるまったり、背後を作らないために仰向けに寝たりするぐらいにはおばけがこわい。はたちを過ぎてこんなことを考えているなんて、なんて恥ずかしいんだと思うので、万が一の場合でもおばけを蹴散らすぐらいの精神力を持ちたい。マッスルじゃ倒せなさそうなので。

さんいん

おそらく山陰と呼ばれているらしいところらへんらしきところ周辺を旅行しました。

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出雲の大社とか、なんだか庭がめちゃめちゃすごいらしい美術館とか、砂の丘とか、ノリで瀬戸の大きな橋を渡ったりとか、白い壁の建物をたくさん見たりだとか、ピカソとかルノワールの絵を見たりとかしました。家族旅行だったのですが、一番面白かったのは父がお尻だけプリッと出して寝ていたことです。もうすごい、ほんとにすごいプリッでした。

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ねこさん