負けている
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
立派だ。わたしはどれにでも負ける自信が大いにある。雨はわたしを家の中へ追いやる強い力を持っているし、風もそう。雨の日の傘だらけの道にわたしは少なからず苛立つし、風の日のごわごわとする髪に、わたしは堪らずへたり込む。だから大人しく家にいる。雪はまだまだマシな方だけれど、こう見えて翌日にダメージを与えてくるタイプ。肉体へのダイレクトアタック、マッスルにペインがこんにちは。暑いのは言うまでもない。無論、というやつ。夏は毎日、涼しい風に白い旗をはためかせずにはいられない。
わたしはちっとも立派じゃない。喧嘩は止められないし、欲はある。すぐに怒るし、1日に4合も食べられない。雨にも風にも雪にも暑さにも負けて、大学の講義を休む。なんてザマだ。情けない。
雨にも負けない風にも負けない宮沢賢治の理想の人は、褒められもしないし苦にもされない。その上木偶の坊なんて呼ばれている。おかしい。極めておかしい。もしかしてこれは村人みんながハイレベル過ぎて、雨風負けないマンが霞んでいるのではないか。そうだとしたらその他大勢の村人、徳が高すぎやしないか。ミヤケンが理想としたのは、ただ雨風負けないマンになるということだけではなく、雨風負けないマンの徳の高さがレベル1に見えてしまうほどの村全体、果ては世界全体としてのレベルアップだったのではないか……
しかしながら村人たち、他人のことを木偶の坊呼ばわりするとはまだまだである。その点に関しては、実際に口に出さないわたしの方が遥かにレベルが高い。とても立派だ。